仏事百科

2017年01月06日

仏飯器の遷り変わり

 ご飯を盛る器を仏器(ぶっき)または仏飯器(ぶっぱんき)といいますが、大谷派と佛光寺派は盛槽(もっそう)を使って筒型に盛ります。蓮の実を表します。浄土真宗の他の派は円く盛ります。蓮の蕾の形です。

 本来、ご飯は「盛る」ではなく「よそう」といいます。「装う」は身だしなみを整えるということなので、お仏飯は法式(ほっしき)にかなった形で供えたいものです。


170106仏飯器の遷り変わり

 仏飯器の形はずいぶんと遷り変わりました。

 奈良時代の仏飯器は托鉢の鉢です。本来、両手で受ける人に両手で渡す。修行をする相手を思いやる姿勢です。置くと倒れてしまうので平安時代に台がついた形になりました。この時代のお仏飯は両手で持つ形です。鎌倉時代になると柱ができ、江戸以降は柱部分が長くなっています。片手でも持てる形になりました。

 この頃は「仏器上げ」という便利な道具があります。炉端焼きで棒にのせて差し出すように、棒の先っぽに仏飯器を乗せて供える。

 両手で出す限り拳を上げることはできません。信頼できる相手への好意を含んだ態度です。一方、片手で出す。これは相手に好意がない態度。もう片方の手はいつでも攻撃ができるということ。

 この仏器上げは当店でも販売しておきながら言いくいのですが、たいせつな方にはていねいに両手で出したいものです。仏飯器の形が変わってもお供えする気持ちがたいせつです。

 ところで、誰よりも大切なあなた…、ご飯は両手で出してもらってますか?そして両手でいただいてますか?


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2008年07月07日

切籠灯籠

お仏壇の前に飾られた切籠灯籠 関東では、7月15日に「盂蘭盆会」(うらぼんえ)法要が行われます。

 京都では祭ムードが頂点となる祇園祭宵山の日です。

 関西のお盆は8月15日ですが、浄土真宗ご門徒のお盆の行事には本来、地方色はありません。

 浄土真宗では‥、

 家に先祖の精霊を迎えて色々のお供えをしたり、仏膳でご馳走を供えることはありません。

 たくさんの野菜を並べてお供えることはしません。

 ご先祖の霊を家に迎えて供養するということはないのです。


 ただ‥

 お墓やお寺の盆会にお詣りする。

 お仏壇のお掃除をして、真鍮のお仏具をお磨きをする。

 お仏飯とお花と、華束(けそく)に小餅を供える。

 そして、お仏壇に詣り「南無阿弥陀仏」を称える。

 それだけでよいのです。

 たくさんのお供えをしたら救われるとか、

 念仏の回数の多いことを尊ぶという事もありません。


 盆提灯を仏間に点される家もありますが、浄土真宗の寺院では本堂の余間に「切籠灯籠(きりことうろう)」という灯籠が吊られます。

 浄土真宗の家庭でも提灯ではなく、小型の切籠灯籠をお仏壇の前に吊るします。

 子どもたちがワクワクする、夏‥

 祖母に連れられたお墓まいりやお盆の行事が懐かしい。

 小さな子らにも、夏休みのほのぼのとした思い出のひとつになればいい。

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2008年07月05日

蓮(lotus)

蓮の葉蓮の蕾






 東本願寺さんの南側

 蓮の葉が陽光に照らされ耀いています。

 中に立派な蕾(つぼみ)が‥

聖観音像 聖観音像は左手に蓮の蕾(つぼみ)の柄をお持ちです。

 蕾の中に人を包み阿弥陀如来のおわす極楽浄土に運んでくださいます。

 蓮は泥の中でも永い年月を生きて毎年浄らかな花を咲かせます。

 2千年も休眠していた実が水中で蘇り、大きな花を開かせたという事実があるそうです。

 お浄土に咲く花として仏像やお仏具に現し、私たちに安らぎを与えてくれます。

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2007年05月07日

仏事百科

仏事百科の仕組み わが社(京仏具 小堀)には4つのサイトがあります。

 「仏事百科」「仏壇仏具 選び方ガイド」「ヤフーショップ」「お仏壇ショップ」です。

 売りの色合いを外し、お客様接点をつくろう。

 2001年頃、とにかく店のことを知っていただくためにに立ち上げたのが「仏事百科」です。

 売り込みは一切しません。

 たいした更新もしていませんし、SEOもやってません。

 古めかしいサイトですが、それでも利用者は一日400件くらいあります。

 裏話をしますと、メインサイトへの誘導です。


仏事の常識、あなたはどれくらい知っていますか?「常識を知らない人ね・・・」なんて言われないように、 ここでしっかり調べてお役立てください。

 ちょっとしたことなんだけど、仏事に関することだけに、聞くに聞けない、そんなあれこれ。ここでは、寄せられた疑問・質問に答えていきます。

 と、こんなカンジです。

 相談と回答のしくみは‥ 

 お寺様、石材店、葬儀社、水引屋さん、お香屋さん、念珠屋さんなどに協賛をいただいてます。
  ↓
 私たちがお答えできない相談は専門の方に振り分け、回答をもらいます。
  ↓
 回答をサイト内の「アドバイスコーナー」で公開します。


 「あいさつ・文例集」や「日常仏教用語集」もあって便利です。

 実は、私もよく使ってます。

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2006年11月29日

お華束(おけそく)はほんもの?ニセモノ?

061129東本願寺様の須弥盛061129小堀本店お内陣の須弥盛










 東本願寺様で仏さまや祖師にお供えする餅や菓子をお華束(けそく)といいます。

 報恩講や重い儀式の際には餅を積み重ねてつくられた須弥盛(しゅみもり)というお華束が飾られます。

 御本山の須弥盛は愛知県の「お華束講(おけそくこう)」の皆さんが中心になってつくられてるそうですが‥、

 高さ105センチ、重さ30キロ、1盛の餅の数は720個もあるそうです。

 ひとりひとりの思いが込められた尊いおこころが伝わってきます。

 須弥盛(しみもり)は、仏教における、世界観の中心にそびえる山‥、須弥山(しゅみせん)を表します。

 右の写真は、わが社の製品、木製の須弥盛です。

 30年前、この木製須弥盛を創ったとき‥、

  “如来様にニセモノのお供えをするなんて〜”

 とお叱りをいただいたことがありました。

 ま〜、食べられないからニセモノなんですけどね〜

 確かに職人さんが一つ一つ心を込めてつくったニセモノなんです。

 今、日本の人々はな〜んか忙しい、時間が足りない、慢性的な時間不足。

 お檀家さんがお寺に集まって、もち米を蒸し、つき、報恩講の準備のご奉仕をする光景を見ることは少なくなってしまいました。

 都会にいる人々は、歳とともに祖父母と行ったふるさとのお寺でのことが懐かしく、ノスタルジーが強まります。

 そんな望郷の念にお応えできれば‥、

 心に響くことができれば‥

 ほんもの餅?ニセモノの餅?

 大した問題じゃないんですよね〜

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2006年10月25日

お仏壇ってなに?

061025おぶつだんってなに?  - お仏壇はいのちのふるさと -

 お仏壇とはなんでしょうか。仏さまをご安置してある壇といってしまえば、その通りでしょうが、実はそう簡単に考えてはなりません。お仏壇は今日のような時代にこそ、大きな意味をもって来るものです。
 今日の日本は、個人尊重の時代と申しますか、まず自分を大事にする、と考えるようになっています。確かに自分を大事にしなければなりません。それには、大切にしなければならぬ自分とは一体なんであるのか、そのことにも気づかないといけません。仏教とは、そのことに気づくための教えとも言えます。気づくといっても、仏教の本を読んだり、お坊さんのお話を聞いて、「ハハァー分った」と、うなずいただけでは信仰・宗教とはいえません。分ったことが毎日の生活と結び付いた時に信仰となり、心を大きく変えてゆきます。
 その”信仰”の行いに、お仏壇はなくてはならないものなのです。仏壇は”信仰の入口”に当たり、”帰依所の入口”なのです。帰依所とは「帰る拠り所」であり、言いかえれば「心の故郷」で、自分を含めて先祖もみんなが来たところと言えるでしょう。
 この世に生をうけたわれわれには、 自分がそこからやって来た故郷−−生命のふるさとがなかなか分りません。お母さんのお腹があるじゃないかと思うかも知れませんが、お母さんのお母さん、そのまたお母さん・・・とさかのぼって、結局どこから来たのだろうか。簡単にわからないでしょう。しかし仏教では、そこを帰依所と説き、ご本尊の仏さまを仰ぎ、お釈迦さまの教えに聞き入り道を求めていくとき、自分の生命のふるさとを覚ることができるのです。
 お仏壇が、そういう帰依所であり、私自身の生命の故郷をそこに見るのだ、ということが解りますと、これはたいへん大事な場所であることに気がつきます。
 お仏壇は、仏教の宗派によって型やつくり、おかざり(荘厳、宗派によっては「そうごん」)の方法がちがっておりますが、もっと身近に”わが生命の故郷”と受け取ってみるとき、どんなに光り輝いて見えることでしょう。その故郷の場において、わが生命の根源を讃え、自分が生かされている今日を感謝し、また故郷の風光を美しく飾ろうと思い立つのは、心の自然なうごきというものです。
 レジャー時代の今日、ふるさとへの旅行は大変魅力があるようです。自分が、そこで生まれ育った環境、お世話になった人々、愛され導かれたご恩の数々・・・をしのべるからです。故郷にいたころは、その土地から自分の将来について夢をいだきました。逆に今、我々はふるさとに夢をいだきます。
 お仏壇に毎日お参りすることは、ちょうどこのことと同じです。まず心が、わが生命のふるさとへ向かいます。仏さま、ご先祖の恩恵に感謝いたします。故郷に遇えた心は、さらに人生の旅の前途を望みます。昔はそれを後生の一大事を思うといいました。仏教のおしえに導かれて、正しく自分自身を見つめ、悔いのない堂々とした人生を歩ませていただくのです。
 お仏壇は、信仰生活の”入口”と同時に帰依所であるという意味は、このことをいっております。自分の未来をも望む場です。ですから、自分の家に死人が出ないから、まだお仏壇は要らないというのは間違った認識です。そのため、どの家庭にもお仏壇が必要です。自分を大事にし、自分が何者であり、どこから来てどこへ行こうとしているのか、それを何より深く追求するために、お仏壇を生活の場の中心としなければなりません。

susumukobori at 13:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!