2014年03月18日

小堀少尉ものがたり

「小堀少尉ものがたり」(Kobori Second lieutenant story)のポスターです。


140318小堀少尉ものがたり

 京仏具(株)小堀は創業1775年、日本国京都の仏壇仏具店です。

 太平洋戦争終戦後、第10代現社長小堀進の父小堀嘉一(小堀中尉)はシベリヤへ抑留され、父の弟小堀岩三(小堀少尉)はフィリッピン・ミンダナオ島で戦死しました。

 小堀少尉は1942年3月、太平洋戦争開戦4ヶ月後にフィリピン戦線に出陣、1945年6月13日戦闘中に米軍の榴弾(りゅうだん)の破片を頭に受け即死、満27才の若さでした。

 日本は1945年8月15日敗戦、9月になると外地の戦場から生き残った兵隊たちが帰郷する噂が流れました。

 長男(私の父)はシベリアへ連れていかれたという噂で何の連絡もない。母親は二人の息子が日本に帰ってくることを信じ着物の仕立てにとりかかっていました。

 ところが、1945年11月、突然小堀少尉の部下がフィピンから帰還、その足で小堀少尉の母親に立ち寄られ、遺髪を届け戦死の状況を知らせてくださったのでした。

 受け入れることができない、あまりにも不意の悲しい知らせに母は仏壇にわが子の遺髪を供え声を上げて泣きました。

 小堀少尉は誰に対しても優しく、また非常に頭がよく成績も常に一番で級長でした。軍隊では隊長として部下を持つ身でしたが、当時の上官のようでなかったといいます。

 無事に帰還された元の部下の方たちは一度も殴られたことがなかったと一様に話されていました。しかし、健康な若者であれば余儀なく戦場に赴かねばならなかった時代との悲しい巡りあわせです。

 突然の深い悲しみをどうすることもできませんでした。母親が49歳のときです。故郷日本の景色、「富士山と五重塔」(新倉山浅間公園)、遠くフィリッピンからどれほどもう一度目にしかったことだろうか。若い息子を亡くす母の無念さ、悲しみは想像を絶します。

 父小堀嘉一(小堀中尉)は、1948年9月にシベリアより復員、人間としての極限の経験が不屈の精神を培い、京仏具小堀の復興を成し遂げることができました。

 今、小堀嘉一(小堀中尉)自らが開発した仏具に、母と兄小堀嘉一の遺骨、そして弟小堀岩三の「遺影」と「比島の霊砂」が穏やかによりそいます。ここに私たち小堀が作る仏具の思いが込められています。





susumukobori at 21:54│Comments(0)TrackBack(0)clip! | イベント

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