2011年12月16日

小堀東京店ものがたり

京仏具(株)小堀東京店のウインドウ

 今年最後の出張…、東京店です。

 1948年9月、父がシベリア抑留から帰国した時、当店は廃業状態、

 業界の中では、商店の再スタートがずいぶん出遅れました。

 開店したものの、商品もなく、来店されるお客様もありません。

 経費がもったいないと周囲が猛反対する中、押し切って始めたのが東京への出張。

 元旦の明け方に夜逃げをするかのように東京へ出向いたいう。

 戦友のお西のお寺さんで寝食をお世話になり、自転車で都内の大谷派寺院を訪問。毎月2週間の東京出張を10年以上続けました。

 初めてのご注文が、港区のお東のお寺様からいただいたお台座後光のご新調、2回目の出張のことでした。

 世代が変わった今も深いご縁をいただいてます。

 都内には多くのお東のお寺様から温かいご支持を頂いてますが、先代の努力の賜物です。感謝しなければなりません。

 そして、東京に支店を出すという、当時業界では前例のないこと…

 多くの批判があったといいます。

 さらには、資金も信用もありません。あるのは計画と情熱だけ。

 お金を貸してくれる銀行もありません。

 ところがたった一行、支店長が父の熱意にうたれたと、貸してくださったのです。

 1962年7月、念願の東京店新築開店…

 チャレンジする精神の支えは、生死をさまよう人間の極限状態、シベリア抑留の体験でした。


小堀東京店屋上からスカイツリー

 当時、都内には中小企業の仏壇店に応募してくれる人はいません。 求人難の時代でした。

 本店にも、東京店にも、地方から入社してくれた社員のための寮が必要でした。

 今思うと、皆が一つ屋根の下ですから、深いコミュニケーションがとれ、家族のように苦楽を共にしていました。

 日本中が明るい未来に希望を感じ、輝いていた良き時代です。

 実は40年前、私も4年間の学生時代を東京店の寮で暮らしていました。

 当時、お世話になった社員はもうおられません。

 屋上の景色も様変わり、ビルの隙間にスカイツリーがすっぽり入ってます。


小堀東京店の寮 学生時代の私の部屋

 私の部屋は倉庫です。

 東京店にくるとついついなつかしく、4階まで階段を上がって屋上とこの部屋を見にいきます。

 同時に…

 父が出張拠点としてお世話をいただいた戦友のお寺様

 復員後、始めて注文をくださったお寺様を始め、ご縁をくださる多くのお寺様

 出店資金を貸してくださった銀行さん

 感謝の心を次代につなぐのも私の役目です。

 助けてくださった方々への想いを決して忘れてはなりません。

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 隆照寺   2011年12月16日 20:50
自坊の新様式の宮殿と中西翔雲さんのご本尊は、浅草のお店で平井さんからおすすめいただきました。
2. Posted by 小堀 進   2011年12月16日 21:57
 隆照寺様、ありがとうございます。

 新様式の御宮殿は、父が建築家の先生(中川先生)にデザインをお願いしたのが始まりです。

 繊細なデザインに、作り手の職人さんはずいぶん苦労をされたようです。

 細い部材にも強度を求められたり…

 職人さんが、太くするよう細部のデザイン変更を先生にお願いしても、先生はガンとして曲げられませんでした。

 ふだんは物静かで控えめな先生の強い主張に驚いたものでしでた。

 業界で初めての取り組みには、それくらいの強い信念がないととお考えだったのかもしれません。

 当社の新様式のデザインの基本は、今もなお、中川先生の主義主張を伝承しています。

 ご本尊と御宮殿という尊いご縁に、心から感謝を申し上げます。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔