2011年07月02日

歎異抄第5章

歎異抄5章がプレゼンエンディング

 ツイッター友達の女性KMさんのひと言…

 "歎異抄の5章が深すぎて泣ける"

 このひと言でかたまってしまいました。

 事情があって浄土真宗をすごく勉強されるお姿が、

 晩年、デスクにある書籍が経営書から親鸞書に入れ替わった私の父とかぶってしまいます。

 私も歎異抄第5章が大好きで、プレゼンや講演のエンディングで使わせてもらってます。



 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
 そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。

 私親鸞は、父母の供養のためにと念仏申した事は未だいっぺんもございません。
 それはこの世の生きとし生けるものは全て父母兄弟であるからです。




 歎異抄は胸に響きます。勉強不足の私でさえも…

 私なりの解釈…、もし違っていたらお詳しい方、お教えください
 

 最澄・空海の「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」
 すべての自然が私たちを生かしているという思想。

  ー分さえよければいいという私利私欲から…
  愛する人のため、家族のため…
  さらに、上司のため、会社のため…
  いい笋い筺地域のためお国のため…
  イ發辰箸發辰函∪こΔ里燭瓠宇宙のため…
  Δ世瓩世瓠⊃祐崔羶瓦旅佑方は結局は人間自らを滅ぼすことになる。
  Ю犬るモノすべてが成仏できるという思想を重んじるのですよ!

 今の政治家は.譽戰襦あまりにも情けないことです。

 今元気な企業も、もし.譽戰襪覆蕕笋ては滅びてしまうでしょう。


 ここからは以前にも書いたブログからです。

 ●金子大栄先生の「歎異抄」、仏教の人生観、歎異抄は日本の聖典

 「聖典というものは、読む人によって感じが異なり、また、おなじ人間であっても、読むときによって、おのずからちがった面があらわれてくるということも、当然のことといってよいのでありましょう。」

 歎異抄は仏教の人生観‥

 「聖典というものは、始めから終わりまでわからんでもよいのもであります。私たちのように学僧というわれるものは、始めから終わりまで筋立てて了解しようとするところに無理がある。」



 ●梅原猛さん「歎異抄」入門

 「人生に行き詰まり、自己に耐えられなくなったときに私は、何度か『歎異抄』を繰り返し読んだ。そして読むたびに私は不思議と勇気づけられ、いつしか心の傷が癒された気になるのだった。」

 「私は決して、親鸞のような強い浄土信仰を持っているというわけではない。あえて言うならば、世俗の偽善を謗(そし)り、己の煩悩の地獄を擬視する親鸞はよくわかるのだけれど、阿弥陀の本願を信じ、必ず極楽に往生するに違いないと思って欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して念仏する親鸞は、よく理解できなかった‥」

 「しかし不思議なものである。そういう不信者なのに、私は『歎異抄』を読むとその強い信仰の熱気に打たれ、しばしば生命の尊さを実感させられ、生きることへの勇気を取り戻したのである。」



 深く意味が理解できない私にとっては、お二人の歎異抄についてのお話に勇気づけられます。

 「論」より「感」でいいんだと‥

 歎異抄は親鸞の極端な逆説表現です。

 誤解されるということから長い間非公開でした。

 表に出てたったの100年、

 それでも人の心を奪うのはいったいなぜなのか?

 やっぱり「論」を知りたくなる。理解を深めたくなる。

 これも欲の一つ、煩悩なのか。

 傍に置いてしんどいときにそっと読む、そうすることにしよう!

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